鎌大師堂 七人塚
 正式には、『山守喜三右衛門一家七人之墓』なっている。
 昔、この地域で干ばつ等が続き、貧しかった頃、当時こ
の一体の山守をしていた喜三右衛門という人が、人々を助
ける為に山の木を伐採し、金に換えて、人々を助けたそう
です。
 その話を聞いた当時の領主が役人を派遣し、喜三右衛門
を捕らえました。そうして、領主に処遇を確認す為に近く
の新城山の山頂からのろしで合図を行い、領主は喜三右衛
門を助ける様に城からのろしで返して、新城山の山頂か役
人に鐘で助ける様に合図を行った。しかし、この役人が聞
き間違え、喜三右衛門一家七人全員を処刑してしまった。
 これを哀れんだ地元の人々が、この一家の供養の為に七
つの小塚を建てて、以来地元の人々が供養を行ってきてい
る。